息子がハゼをさばいた。印象深かったので記しておく。
息子がハゼをさばいた。あの、魚のハゼだ。
イナゴ採りから帰った直後から、息子はハゼ釣りを私にせがんだ。私は釣りをしないのでよく知らないが、秋はハゼのシーズンだという。
息子は釣りが好きで、よく友達の家族についていって釣りをしていた。友達の家族に息子の世話をさせるのはとても申し訳なく情けなかったが、私はどうしても釣りが嫌だった。
何しろ私は生き物を殺したくないので、釣りが嫌いだ。食うのは好きなので、間接的には山ほど殺しているわけだが、やはり私は自分の手を汚したくないようだ。
しかし、イナゴ揚げをした後に釣りをせがまれて、私の気持ちは少し変わった。確実に食うのであれば、釣りも悪くないかもしれない。いや、同じ食うなら、自分の手こそを汚すべきのような気もした。
場所はここだ。江戸川の、東京メトロ東西線がかかっているあたりだ。
手ぶらで行って、伊藤遊船という船宿さんからボートやら釣り竿やらを借りた。だいたい5000円とちょっとの出費であった。
釣れた。私としてはやはりまだ心の底からは喜べない。私はこいつを殺して食うのだなと思うと少し気持ちが沈む。しかしやるべきことのようにも思った。こういうのは良くない言い方かもしれないが、少し勇敢な気持ちが芽生えていた。
半日ほどで、釣れたのは3匹ほどだった。ヘタクソである。しかし、近くにいたガチの釣り人が私達をあわれんで、何匹かくれた。
あとはボートの上で昼寝をしながら釣り糸を垂らした。いい休日である。
釣りをするにあたり、私は息子に前提条件を突き付けていた。釣った魚は息子自身がさばくこと、である。
何しろ私は魚を殺したくなかったし、イナゴ揚げで殺す経験も積んだ。となれば、次に経験するべきなのは息子なのではないかと思ったのだ。
イナゴ揚げのページでも書いたが、私の実家では採ったイナゴを殺すのは祖母の役目であり、私は自分で手を下さなかった。そこに強い矛盾を感じていた。子供の頃からである。
ならば、息子には、少しでも早く、その矛盾を乗り越える経験をして欲しいと思った。
その条件を息子はOKした。息子は、昨日からYouTubeでハゼのさばき方を検索して事前知識を得ていた。ハゼをさばくことに対して非常に前向きであった。生き物を殺すことの罪の重さを感じ、その上でそれを乗り越えているのか、それとも命の価値を軽く見ているのか、そこはよくわからなかった。しかしいずれにしろ、生き物を自分の手で殺して食うというのは経験すべきことだろうと思った。
家に帰ってくると、息子はハゼの入った発泡スチロールをベランダに持って行った。
そして、あまり躊躇なく、さばいていった。おいおい、そんな感じでいいのかよ、と思った。少し戸惑って欲しかったのだ。
そう感じた直後、そういえば準備している時に「とーちゃん、さばくの見ててね」と言われたのを思い出した。ああ、あれは息子なりに命を奪うことの恐怖を感じていたのかなと思った。私が横にいるからこそ、躊躇なくさばいていけたのかなと思った。私としてはそうであって欲しかった。そのくらいのバランス感覚がちょうど良い気がした。
そして揚げた。私は「生きてるものを殺して食うんだから、骨まで食べよう」と言った。本当はこのセリフを息子の方から自発的に言って欲しかったのだが、我慢できなくて私が言った。息子は「そうだね」と言っていた。
息子は生き物を殺して食う業を背負った。良い経験になっただろう。
お問い合わせはこちら