イナゴから翅と脚を取った。次はいよいよ、食べる。

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前回イナゴを食べた時は、イナゴを揚げていた。旨かった。しかし、それは少し違うなと思った。

私の思い出の中では、イナゴは煎るものであり、揚げたことなどなかった。イナゴを油で調理したものは食べたことがなかったのだ。だから新鮮な気持ちではあったが、私の思い出にピッタリと来るものではなかった。私が食べたいと渇望したイナゴではなかったのだ。

今回は、煎り、翅と脚を取った。これは完全に私の実家の流儀に則ったものだ。

私の実家の流儀に則ったイナゴ。これこそが私のイナゴだ。100点のイナゴだ。
イナゴ

食べる。
イナゴを食べる

食べた。
イナゴを食べる

食べた瞬間、あ、これだ、と思った。これぞイナゴだ。イナゴの味だ。子供の頃、翅と脚を取りながら、気が向くたびに口に入れていた、あの味だ。これこそがイナゴの味だ。

そして、これだ、という気持ちが過ぎ去ったあと、ああ、こんな味だったなと思った。率直に言って、この煎ったイナゴはそれほど旨くない。いや、もちろん私は好きだ。思い入れもある。しかし、これとかっぱえびせんを食べ比べたとしたら、おそらく100人中100人がかっぱえびせんの方が旨いと言うだろう。

私は、私の思い出の中でイナゴがかなり美化されていたことを、この瞬間に気づいた。ああ、イナゴはこんなものだったのだ。それほど、たいして、旨くない。あれば食うけど、旨い旨いと言って食うようなものではない。イナゴ甘露煮の缶詰は旨かったし、揚げイナゴも旨かった。それは事実だ。しかし、甘露煮は甘露煮の味であり、イナゴの味の主張は弱い。揚げイナゴも、油と塩の味が強かったように思う。

イナゴは、たいして、旨くない。私はそれを思い出してしまった。正確に思い出してしまった。食べてたけど、誇りに思ってたけど、たいして旨くなかった。そういう存在だったことを思い出してしまった。

悲しい現実だなと思った。しかし、煎ったイナゴを取る手は止まらなかった。悲しく思いながら、でも思い出したイナゴの味は懐かしく、食欲とは別の欲が私の手を動かしていた。

息子も食べた。何も喋らなかった。そんなに旨くないなと感じたんだと思う。
イナゴを食べる息子

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