今朝、綾瀬川河川敷にイナゴ採りに行った。しかし、雑草たちは刈り取られており、イナゴはいなかった。しかし、私はイナゴをあきらめたくなかった。
私は、まだ、イナゴを食べたかった。だから、できることは全てやっておきたかった。綾瀬川がもうダメになってしまった今、私としては、江戸川河川敷を確認しておきたかった。行かなければ、絶対に後悔する。そう思った。
とある昆虫図鑑を読んだところ、イナゴの活動時期は8月から11月上旬と書かれていた。11月上旬はもうすぐそこだ。しかし、図鑑には時期が書いているものの、それがどの地方での活動時期なのかの記述がなかった。たぶん、いちいちそんな細かいことを書いているスペースはなかったのだと思う。
私としては、埼玉県でのイナゴの活動時期が知りたかったのだ。その11月上旬までというのが、沖縄についての記述だったとしたら、私は採りに行けないのでもうだめだ。いや、飛行機に乗って沖縄にイナゴ採りをしに行くというのも悪くはないかもしれない。でも、そこまでしたら嫁さんに愛想をつかされそうだ。
もうイナゴはいないかもしれない。でも私はイナゴを食べたい。できることは全てやっておきたかった。だから、今日も江戸川河川敷に行った。今シーズン3回目だ。
地図でいうとここだ。
本当にどこにもいなかった。完全に消えていた。だいぶ広い範囲を探したが、どこにもいなかった。
よく見ると、今日、緑色が残っているのは、どうもイネ科の植物ではないものが多いようだった。イネ科の雑草は、ほとんどが茶色く枯れていた。
どこかにいないか?一匹でもいいから捕まえたい。そう思ったが、どこにもいなかった。一匹もいなかった。
少し離れた場所の田んぼも見てみた。この田んぼは稲刈りの時期が早かったらしく、落ち穂から出たらしい、短い稲の芽がたくさん生えていた。
小さな穂に、できたばかりらしい米もついていた。こうして短いながらも稲が生えているということは、イナゴの餌はたくさんあるということになる。しかし、この場所にもイナゴはいなかった。
餌はあるのにイナゴはいない。それは、私に冷徹な事実を突き付けた。この埼玉県には、もうイナゴはいないのだ。もう時期が過ぎてしまったのだ。今の気温では、イナゴは生きられないのだ。
私はもう一度だけでも、イナゴを食べたかった。
前回、私はイナゴを素煎りにして食べた。それは、率直に言って、そんなに旨いわけではなかった。不味くはないけど、旨くはなかった。懐かしい味だった。でも、旨くはなかった。
しかし、油で揚げたイナゴは旨かった。あの味を、もう一度味わいたかったのだ。油で揚げて塩を振ったイナゴは、抜群に旨かった。香ばしく、カリカリしていた。旨かったのだ。
なぜ昔の人はイナゴを揚げずに煎って食べていたのだろうと不思議に思って調べてみると、昔は食用油は高級品であったらしかった。昔の人は、イナゴごときに貴重な油を使うのはもったいないと思ったのだろう。
現代では食用油は安い。現代の最も良いイナゴ調理法は、イナゴ揚げだ。私はそう確信していた。だから、それをたっぷりと食べたかったのだ。
しかし、もうイナゴはいなかった。もう、あきらめるしかない。
私は観念した。イナゴよ、さらば。
<2015年のイナゴ 完>
・・・と思ったが、まだ終わらなかった
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